訴えの必要性
先日、父の面会に行ってきました。施設内でインフルエンザが流行っているとのことで、ロビーでの面会となりました。
父の認知症の症状は落ち着いていて、少し理解力が低下しているくらいに感じ、発症前とあまり変わらず会話ができます。財布を持っていないこと、金銭に関する心配をしていること、今後の方向性の希望などについて訴えていました。
面会の時の私は、息子として接していましたので、それぞれの訴えに対して、「今それを言っても仕方ないよ」というような応えをしていました。どちらかというと、否定的に対応していました。しかし、専門職として考えてみると、このような訴えは必要なことだと感じています。
訴えは、欲求ともいえます。以前、社会福祉の観点から、要望(デマンドとニーズ)について書きましたが、欲求は心理学では動因(drive)や動機(motive)といって、生きていくうえで必要不可欠なものです。
専門職として父の意見を聴けば、「そのような要望を訴えることができるのは素晴らしい」と反応するのでしょうが、父と話しているとどうしても説得する方向へその答えが向いてしまいます。身内だから仕方がないのでしょうね。
次回面会時には、少し専門的にかかわってみたいと思います。
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