事実の説明
先日、ある方(Aさん)と話していて、教えてもらいました。
Aさんは仕事をしながらお母さんの介護をしていますが、同居しているお兄さんはひきこもりで、Aさんは日々の対応に苦慮されていました。Aさんの仕事のない休日の時は、何もやらないお兄さんに接していて、Aさん自身の怒りの感情を抑えるのが大変だったそうです。
しかし、お兄さんの行動をよく訊いてみると、実際はひきこもっていただけでなく、一緒にDIYの本棚を遠くまで買いに行き、二人で組み立てたとのことでした。Aさんは文句を言われながらも、ぐっとこらえて、大きな本棚を作り上げたのです。
確かにお兄さんはひきこもりがちかもしれませんが、本棚を買いに行って力のいる組み立て作業をすることは並大抵のことではありません。また、お兄さんに文句を言われながら、上手に対応していたAさんもすごいのです。
「何もやらない兄に対して、怒りの感情を抑えるのが大変だった休日」が、
「一緒に大きな本棚をつくることができた休日」に変化しました。
「こう状態だったのです」と説明している時点では、実際あった事実と少し違う説明をしていることがあります。また、ある現象を限られた時間内で十分に説明することは不可能です。
そのため、その人が話している物語が事実であったようにつくられている(構成される)と思う方が自然です。これは社会構成主義という考え方に近いです。
クライエントの物語をより肯定的な物語として、理解し共有する。このような支援が私としては理想的です。
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