苦手な終わり

終わるのが苦手です。

先日、関わっていた機関への参加が終了となりました。こういう、終わりや別れが苦手です。もともと苦手だったわけではないのですが、最近特にダメになりました。

今までの関わりに感謝して、また会えることに期待して…。そのやり取り自体がダメです。感謝も期待もしているのですが。なんだかそれを口にするだけで、嘘くさく思えて、もっと正直な気持ちがあるのではないかと思います。

なので、なるべく自然にあたかも次に会う機会がすぐに予定されているかのように別れたいです。

では、なぜ終わりが苦手になったのでしょうか。

カウンセリングや心理療法では仮説を立てて支援方針を決めていきます。その仮説は、自身の価値観で立てるのではなく、人間観や支援観としてある程度確立されたものを根拠とすることが望ましいでしょう。自分の価値観こそが正しいという人はそれでも良いのですが。

仮説のためのカウンセリングにおける支援観には、1)力動的心理学、2)行動主義、3)人間性理論の三つがあるとされています。

1)力動的な支援観とは、精神分析の理論などのことを指します。ちなみに精神分析は治療法も理論も精神分析といいます。過去、ある大きな体験があって、それが心の傷となって、現在の症状となるという考え方です。

2)行動主義による支援観は、人の行動は学習によって決まるというもので、レスポンデント条件付けや、オペラント条件付けが知られています。ちなみにパブロフの犬はレスポンデント(古典的)条件付けです。

3)人間性理論では、マズローの「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」が知られています。ロジャーズの「無条件の肯定的配慮」も有名です。

とこのように考えると、私の苦手な終わりについてはどのような仮説が立てられるでしょうか。

1)ある大きな別れがあってそれがトラウマとなった。終わりを終わりとしないことによって自身の辛い感情に向き合わないようにしている。
2)終わることでとても嫌な経験をしたので、終わることを回避しようとしている。また、その逆で、終わりを苦手とすることで良い経験をした。
3)終わりが苦手なのは当然のことである。自然である。これからどのように終わりを迎えたいのか、これが重要である。過去のことはほとんど関係ない。

私の場合はどれにも当てはまりません。3)は仮説にもなっていないですね。特にこの苦手な終わりの傾向を変えようとも思っていないのです。ただ苦手だということです。

傍から見ると、他人の傾向が問題と見えることがあります。カウンセリングを行う上では、問題に見えることを問題として扱わない努力も必要です。本人がどのように捉えているのか、これを中心にしないと、新たな問題を作り出してしまうことになりかねません。

私の場合は、苦手な終わりのままでいいです。

10月 27, 2013

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