ひきこもり講演会の反省(2)

前回、ひきこもりの定義について確認しました。ひきこもりだと認めても、そうでなくても、それはご本人やご家族の自由なのではないかと思っています。

依存症の分野ですと、アルコール依存症は「否認の病」といって、アルコールの問題を本人が認めないこと自体が、まさに病気であるとする立場があります。診断基準がある疾患とひきこもりを一緒に考えてはいけないと思いますが、認めるかどうかは、その後の行動に大きく影響を及ぼします。

しかし、それでも認めようが、そうでなかろうが、それは本人やご家族の自由なのではないかと思っています。

解決志向ブリーフセラピーの森先生は、著書に以下のように記しています。

多くの「問題行動」や「症状」も、それはなんら「実体」を持つものではなく、「これが問題行動だ」「これが症状だ」と、そのヒトビトの中で認識された時点で、「問題行動」となり「症状」となる、ということになります。だから、定義は、「なんでもいい」「なんとでも定義できる」わけです。多く、「問題」や「症状」は、そこに在るのではなくありません。そう呼ばれるだけのことであって、そして多く、それらは言葉などによって「作られる」のです。(“問題行動の意味”にこだわるより“解決志向”で行こう 2001森 俊夫)

うちの子はひきこもりだ、と決めたときに、ひきこもりのお子さんが作られるのです。

8月 6, 2018

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